2015年10月アーカイブ

記憶

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いまや
「女学生時代」に回帰してしまった家人B(母)、
自分が85歳で、ここが50年近く住んでいる家である
という覚えが消え、結婚前のあたまになっている。
「わたしの名字は◯◯(現在の姓)じゃなくて⬜︎⬜︎(結婚前の姓)」
であるし、
たまに「うちに帰りたい」と言い出す。

二月に亡くなった家人A(父)と結婚したこともすでに忘却。
「仏壇のおじさん」である。
先のお盆の時など、
そう言われて怒った家人Aが深夜に出てくるのではないか
と真剣に思った。

さて、
そんな家人Bであるが、その女学生時代というか子供の頃から
実家であれこれお稽古ごとをさせられていたようで、
しかも、日本舞踊、三味線、お琴、書道と幅広い。
親戚筋の話によると、
家人Bの祖母が孫を宝塚に入れたかったから習わせたそうで
本当かどうか、どこまで進んだ話なのかわからないが、
家人Bがまだ認知症と診断される前、
本人から宝塚の観劇に行ったと聞いたことはある。
(入り待ちもしたようだ)

で、
話は宝塚ではなく、お習字。
デイ・サービス以外の日、
つまり家での過ごし方のメニューの一つについて。

本人大腿部骨折後のリハビリ施設にいた時、
余暇として書道教室があり、経験もあることから参加させていたのだが、
その流れで、退院してからも、時折硯箱を持ち出し書かせている。

近所の子供達に習字を教えていた時期もあって
家にはいまだ道具と紙は大量にストックがある。
墨などは、ひょっとしたら高価なものもあるのかもしれないと思うのだが
どうみても使い切れないほど函にしまってある。
たぶん、このあたりから認知症か。

こう書いてくると、今でもさぞかし達筆、かというと
残念ながら、そういうわけにはいかない。
昔は慣れていただろうという筆運びは、たまに、「部分部分」にみられるが、
全体として、よれる、大きさが整わない、かたちになっていかない。


しかし、・・・ここからが本題。
出現しないだけで、確かに記憶はあるようだ。

最近は、先にわたしが文字を書いて、それを書かせるようにしている。
わたしが書く・・・とーぜん、悪筆どころではなく、
よれて、整わない、かたちにならない家人Bよりも
はるかにヘタクソであるのだが、
家人Bは「お手本」がないと何を書いていいかわからない、
また、漢字がわからないことがある(同じ漢字でも時により思い出したりする)ため、
悪筆の一枚を提示せざるをえない。

ちょっと救いがあるのは、
わたしの一枚を家人Bが「そのまま写そうとする」のではなく
自分なりの、よれて、整わない、かたちにならない文字に変えていく。

こうして「お稽古」が進んで行くわけだが、
先日、「お題」に「荒城の月」を選んだ時のこと。

「荒城の月」は本人の好きな歌で、
なにしろ、歌集にはその頁に付箋がしてあるし、寝言で歌うくらいなので
歌詞を全部書かせようという目論見。

まず、タイトル。
「荒城の月」。
わたしは一枚の紙に同じ大きさで四文字を並べたが
当人はその半分を「荒」の字が占めてしまう。
さすがに当人も気づき、書き直し。

続いて一番の歌詞、出だし。
「春高楼の 花の宴」。
一枚に二行。
「楼」の字、誤り。しかも小さい。書き直し。

続いて
「めぐる盃 影さして」。
同様の展開。

ここまでは、準備でお手本を用意してあったが、
続く「千代のまつがえ・・・」以後はまだ。
ちょっと待ってと「お手本」を書こうとしていたら
当人、なにか書きだした。
まさかと思ったら、
お手本なしで、
しかも、さらさらと、「千代の松がえ わけいでし」
さらに続けて一番の歌詞の最後
「むかしの光 いまいづこ」。

ありゃ。

「女学生」も「85歳」も「自意識」も関係ない、
脳と身体の奥深くの記憶がむすびついて現れ出でた一瞬。


koujyou.jpg

左に署名ありましたが画像処理で削除。
なお「江(え)は松の枝(え)」

栞 02

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「コレクション」にも「リターンズ」にも8Pの「栞」が入っていて、
これが、何十巻もあると、「月報」になるのでしょうけど、
こういった付録の別紙について「栞」ということを確認。

というのは「妖星伝 第7巻」に挟み込まれた「別紙」について
なんて呼んだらいいかわからず、
確か「栞」と呼んだような気もするが、自信がなかったのでした。

栞も月報も貴重。
(ふと、「栞・月報コレクター」なんているのかしらん、
 全集ときけば、ジャンル、作者を問わず、手に入れ
 栞抜き出し、専用の函に収め
 栞の独自性を確保するため、本体は友人に進呈或いは図書館に寄贈し
 感想は、と聞かれると、やたらピンポイントの背景情報には詳しいが
 内容についてはしどろもどろであるが、しかし、本人満足。
 第一場所をとらない・・・
  なんて思ったが。んなわけない)
「リターンズ 第2巻」の栞には
「対談 稲垣足穂vs野坂昭如」が載ってます。
(下のキスの写真の対談。週刊文春70年6月1日号よりの転載。
 ただし写真はなし。別冊新評の方は写真のみ)


さて
「てろてろ」からと思ったが
所収の「リターンズ 第1巻」は
「真夜中のマリア」「てろてろ」の順で、見れば
「真夜中のマリア」が「平凡パンチ」68年連載
「てろてろ」が同誌69年連載。
で、
「真夜中のマリア」からダイブ。


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続いて
「野坂昭如コレクション」全3巻
「野坂昭如リターンズ」全4巻(国書刊行会)に向かう。

野坂昭如さんについては、
稲垣足穂さんとキスしている写真(別冊新評「稲垣足穂の世界」)を見て、
一生この人を支持しようと思い、
そのわりには、
その後あまり熱心なファンとはいえなかったし、
参院選も無関心でいたが、
十数年後、
次女の方が宝塚を卒業される時
千秋楽のご挨拶で
「父が緑の袴をはきたいと」
と仰ったのを聞いて、
ああ、やはり帰依してもよい、
とまで感動し、しかしやっぱり、なのでした。

ではありますが、
何故か「コレクション」と「リターンズ」はずっとあるのです。
当然、再読もあれば、初読もあります。
今回は「てろてろ」が読みたくなったからですが、
函を引っ張り出したら、それだけでは、という気になった次第。

当面、別の経路も予定しているので、
年内はここまでか。
(栞の話まで行きませんでしたが、後日)


続いて

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中村文則「教団X」(集英社)読了。

刺激的なテーマ多し。が、ただ、
間間の「繰り返しの描写」は、しんどかった。


さて、
ここまで駆けて、ちょっとHD混乱発熱気味。
「妖星伝(第7巻)」「モナドの領域」については
気になったところ、メモを取り直すことにする。

偶然

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続いて
新潮10月号掲載
筒井康隆「モナドの領域」読了。

「妖星伝」の次は「教団X」を読む予定であったが、
家人Bのショートステイの間に名古屋に出かけたところ、
三省堂書店で見つけて、購入。予定変更。

「モナドの領域」については
時々のぞいている「偽文士日碌」で知り、
そのタイトルにひかれて、
久々に筒井作品が読みたいと思っていたのだが
9月7日の発売日から少し過ぎたあたり、
ネット書店を見たら、どこもすでに売り切れ。

わ。
さすが最近みなさんはやいです
とあきらめ、単行本化を待とうかと思っていたら
新潮増刷のニュース。

10月5日月曜日、店頭で手にした次第。


10月6日火曜日、朝方より読み始め、午後に読み終わる。

アヤカシノホシノキ

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半村良「妖星伝」全7巻
再読了。

講談社の単行本版で「第一部 鬼道の巻」が出たのは
1975年だから40年ぶり。

同年 「第二部 外道の巻」
76年「第三部 神道の巻」
77年「第四部 黄道の巻」

この四巻をO氏に預けて、というか託して78年印度へ。
(実はあまり帰るつもりがなかった)

帰国後
79年「第五部 天道の巻」
80年「第六部 人道の巻」

ここから、待ちに待って

93年「第7部 魔道の巻」で完結。

今回再読はこの夏のはじめ頃から。
ここ数年あちらこちらと再読を続けていて、その流れ。
こう書いてくると、本棚を眺め「懐かしんで」という感じですが、非ず。
ある意味、最大の再構築かも。

現在形です。

余談。
第7巻に作者の「『妖星伝』を語る」(聞き手石川喬司)
という12頁の別紙がはさみこまれていて、もうこれだけでも。

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さんぺい絵
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